役場ヤーヤ・ドーする会ドーする会とは昭和58年、第1回目の運行から遅れること2年・・・ 昭和60年、役場の職員団体として自主的に会を設立「ねぷた囃子」「ねぷた製作」も『ドーする?ドーする?』と、みんなで協力しあって自主運行を続けています。 1995年からは道内最大級、高さ8mの「ねぷた」を運行しており、三尺太鼓を五つ横に連ねた、太鼓台車で運行に参加しています。 また、多くの「職員・家族・OB会員」が一体となって、運行に参加しているのも団体の特徴です。
歴 史歴史的な事件歴史的な事件慰霊碑の建立と慰霊祭斜里ねぷたの由来 今から約200年前の西暦1807年(文化4年)に、津軽藩(青森県弘前市)は、斜里地域の警備を江戸幕府から命じられ、100名の藩士を斜里町に派遣しました・・・。 警備期間は1807年7月から翌年の6月までと長期間におよび、越冬期間中に100名中72名の津軽藩士が、寒さと栄養不足から病人が続出し、多くの藩士が死亡するという、悲惨な事件がありました。※参考図書「松前詰合日記」「津軽藩士」斉藤 勝利 著※1812年(文化9年)津軽藩ゆかりの者が斜里に「墓碑2基」を建立。※慰霊碑は日照寺、藩士の過去帳は現在「禅龍寺」で保存。
慰霊碑の建立と慰霊祭 斜里町民は、この悲惨な「津軽藩士」の霊を慰めるため1973年(昭和48年)に「津軽藩士殉難慰霊碑」を建立し、第1回の慰霊祭を行い、現在も毎年7月下旬に行われています。斜里ねぷたの由来 斜里町民が「津軽藩士殉難慰霊祭」を行っていることが縁で第10回目の「津軽藩士殉難慰霊祭」の年である1983年(昭和58年)2月に「弘前市」と友好都市の盟約を結びました。 この盟約を記念して、同月7月に「弘前ねぷた」が斜里町に伝授され「しれとこ斜里ねぷた」が始まりました。※1983年(昭和58年)2月12日「友好都市盟約締結」※2005年(平成17年)11月弘前市が市町村合併したことにより、再盟約の調印式を行う。
平成7年(1995年)に「友好都市」盟約15周年を記念して、弘前市より寄贈されました。
公道を運行している「ねぷた」の中では、道内最大級!! ■最大高さ8.0m / ■おおぎ幅6.3m / ■重さ3.5t
「ねぷた」には、運行の際に電線などの障害物を回避するために、上下に動く昇降装置が装備さ れています。
お囃子紹介 しれとこ斜里ねぷたは「大太鼓・笛・鉦・担ぎ太鼓」のパートから構成されています。 お囃子も「行進・休み・戻り」と分けて演奏されます。
大太鼓(三尺太鼓) ■直径約90センチの大太鼓です。横の縄を締めあげて太鼓の音を調整します